虹のかけらを探しに行こう

徒然なるままに

サンタクロース

季節外れ甚だしい話題ではあるけれど…

 我が家の長男はサンタクロースからプレゼントをもらったことがない。子供の枕元にプレゼントを置いてやるなんてことを思いつきもしなかった不甲斐ない親のせいで、図らずも自分がサンタクロースになってしまったからだ。

 

 小学校に上がった年のクリスマスイブの日、祖父母の家に遊びに行っていた長男を迎えに行くと、帰り際にお小遣いを持たせてくれた。「これでみんなにクリスマスプレゼントを買ってやっとくれ」と。

 帰りの車の中で長男が言った。

「お母さん、おばあちゃんにもらったお金でさぁTとAにさぁプレゼント買って帰ろうよ。それでね、お母さんがねみんなが寝た後にこっそり枕元に置いておいてよ。」

私は、二つ返事で軽い気持ちで引き受けた。2人でおもちゃ屋さんに寄ってそれぞれが欲しがっていたおもちゃを選んで買って帰った。みんなが寝付いてからそっと枕元に置いた。

 翌朝のことである。いつものように目覚めた長男は、枕元にプレゼントがあることを確認すると弟たちを起こしにかかった。

「ねぇねぇ、T、A起きてごらん。何か置いてあるよ。」

お兄ちゃんの声に目覚めた次男は、枕元のプレゼントを発見すると、それはそれは嬉しそうにプレゼントを抱きしめたのである。

「わぁ ぼく 初めてサンタさんからプレゼントもらっちゃった。」と。

 私はこの時、ものすごい罪悪感に苛まれた。我が家の子供たちはきっと、保育園でのお友達との会話の中で、とても寂しい思いをしていたのに違いない。

「どうしてぼくのうちには サンタさん 来てくれないんだろう…」とか

「ぼくはよい子じゃないからサンタさん来てくれないのかなぁ…」とか

 初めてもらったサンタさんからのプレゼントを開けてみることもせず、大事そうに胸に抱きしめている次男の様子を嬉しそうに見ていた長男が、声をかけた。

「何が入ってるのか開けてごらん。」

 

 私の育った家では特別にクリスマスを祝ったことがなかった。もちろんクリスマスプレゼントやケーキも用意されたことがなかった。でも、友達が季節になると騒ぎ出すので、気になって父に聞いたことがある。確か小学2、3年生の時だったと思う。

「どうしてうちはクリスマスをしないの?」

すると父は言った。

「うちはキリスト教じゃないからさ。」と。

なるほどね。そのひと言で妙に納得てしまったような気がする。その後、学年が上がるにつれ、母にプレゼントをあげたりケーキやチキンを用意したりしてしてクリスマスを楽しむようになった。が、私の元にはサンタさんは一度も来なかった。(笑)

 

 長男は、毎年街にクリスマスソングが流れ出すとささやいた。

「今年も“あれ”やってね。」

「うん」と言いながら私は心の中でささやく。「ごめんね」「ありがとう」

 すでに成人した長男も、いつか家庭を持つのだろうが、きっと優しい父親になるだろう。

 

 

思い出してみた

今週のお題「納豆」

 納豆といえば…子どもの頃は納豆やら豆腐やらを毎朝自転車で売りに来ていて、それを買いに行くのが子どもの仕事だった気がする。今のようにパック詰ではなく、へぎに包まれた三角納豆か藁納豆しかなかった。便利なパックになったのはいつ頃だったっけ。

 私が小学生の頃、我が家では一時期母が納豆にいろんなものを入れてみるのに凝っていた。それこそ何でも入れてみていたが、記憶に残っているのはなぜかきゅうり揉みだけである。入れると粘りが少なくなりポロポロして食べにくかったような気がする。その頃のことで印象に残っているのは、伯父が、醤油もカラシも入れずしかも全くかき混ぜずにそのままご飯に載せて、そこに醤油をかけて食べていたことだ。そんな食べ方があるんだとびっくりしたが、尊敬すべき伯父のことなので、物申すのは控えることにした。

 学生時代の記憶によると、医者から塩分控えめと言われた母は、なんと納豆には“酢”を入れることにしていた。美味しかったかどうかはわからない。聞いてもみなかったし試してもみなかったから。

 家庭を持ってからの一番のおすすめは、離乳食の本に出ていたバナ納豆である。すりつぶした納豆とバナナ。こんなものがうまいのかと半信半疑で我が子に与えてみると、何ともうまそうにパクパク食べた。長男は、離乳食を頑張ったせいか何でも食べる。納豆も然り。次男は、私の手抜きのせいでか,偏食がある。納豆は食べない。三男は、反省してまた離乳食を頑張ったからか納豆も大好きである。余談になってしまった…。そう言えば、これはテレビで取り上げていたのだが、学校給食のレシピにスタミナ納豆というのがあり、早速検索して試してみたら好評だった。納豆嫌いの子供にも食べられるレシピということだった。

 以前、餃子だったか焼売だったか春巻だったかの皮に納豆を包んで揚げて食べるというのを何かのテレビ番組で見たが、これを試してみたいと思っている。納豆嫌いの人にも食べられるのだそうだ。きっとうまいに違いない。

 結婚当初夫は、毎朝納豆でいいと言ったが、すぐに飽きた。しかし、三十数年を経た今夫は、毎朝納豆を食べている。ご飯茶碗についたネバネバを触るのが不快でいろいろ調べた結果、酢を入れると粘りにくくなることがわかった。ん、母は粘らない納豆を食べていたのか…。ここで初めて試してみたわけだが、確かに粘らなかった。味も悪くなかった。しかし,酢ではあまりにも味気ない気がしたので、酸味があればいいのではないかと梅干しを入れてみた。酢ほどではないが使えると思った。さっぱりして美味かった。が、夫には勧めていない。自分で茶碗を洗ってもらうことにしたからだ。これも余談だが…。

 みんな工夫して食べてるんだなぁ。自分では思いつかないようなことも、人の知恵や経験を頼りにして活用させていただいて、取り入れたり広めたりしていけばいいんだ…、独り占めじゃもったいないからね、と勝手に考えているわけである。

 

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

 今でもそうだが、雷がこわい。昔の子供はおそらくみんなそうであったように、私も、「雷様におへそを取られるぞ」と脅かされて育った。そのせいかどうかはわからないが、雷様がこわかった。鍵っ子だったので、夏場夕立が来るとひとりでこわさを凌がねばならなかった。雷様から逃げねばならなかったので、押入れの中に隠れてみたこともある。蚊帳の中にいると安全だと言うので、ゴロゴロ言い出すと昼間から蚊帳をつって、その中で頭から布団をかぶって過ごしてみたりもした。板の間にいると落ちるとも聞いたので板の間をまたいで畳の上を伝うようにして移動してみたりもしていた。大人から見れば滑稽だが、真剣だった。

 ある夏の日 学校に行くと「忠霊塔に雷が落ちたんだって。見に行こう。」と言って友達が騒いでいた。雷が見られるのだと思った私は、おっかなびっくりついていった。一体どんなものが見られるんだろうと自分の目で確かめたかった。「ほら、あれだよ。」とみんなが指差す方を見たが、しかし、そこには何もなかった。雷に打たれて焦げた木だけがたっていた。

 私はその時まで、雷は実体のあるものだと思っていた。だから忠霊塔には、想像するに巨大な球体にトゲトゲが放射線状にいっぱい出ている、トゲトゲの先っぽには小さな球体がついているんだけど…、そんな感じのものが落っこっているんだと思ってた。

 友達はみんな知ってたんだと思うと恥ずかしくって何も言えなかった。黙って家に帰ってきた。親にも誰にも話さなかった。

 我が子を持って初めてこの話をした。笑いながら聞いてくれた。結局のところ一番こわかったのは、留守番だったのかもしれない。その後、今に至るまで落雷を目にすることもあるが、やはりこわいと思う。